COLUMNE
ドヴィマ :モードの霊性
date created : 2024.9.25
white by : doukin
彼女は永遠であり、刹那でもあった。
1950年代に活躍したファッションモデル、ドヴィマ。オートクチュールの華やぎのなかで冷たく微笑む彼女は、ときにモナ・リザやネフェルティティにたとえられた。
ほとんど時空を超越したその佇まいは業界を席巻し、トップモデルの時給が25ドルの時代に、彼女の時給は60ドルと、まさに破格の存在だった。
ドヴィマ、本名ドロシー・バージニア・マーガレット・ジュバは、ニューヨーク生まれ。
幼い頃はリウマチを患って家にこもりきりだったという。
退屈しのぎに絵を描くことが好きな少女で、その絵には必ず自分の名前のアナグラム、DOVIMAとサインしていた。
通りを歩いているところをヴォーグのエディターにスカウトされ、モデルとしてのキャリアが始まる。
はじめて、テスト撮影の際に笑顔を求められたドロシーは、欠けていた歯を隠すため、口を閉じて控えめに笑った。そしてその彼女の謎めいた佇まいこそ、まさに時代が求めた美にほかならなかった。
はっきりとした輪郭と、白い肌。ほっそりと長い首。ややなで肩で薄い体躯を、しなやかな手足が支えている。そして、彼女がレンズに向けるまなざし(マリリン同様、外斜視気味だ)はとてもメランコリックだ。
イヴ・サンローランの58年デビューコレクションのスケッチをみれば、そこにドヴィマの面影をみることができる。彼女は50年代のモードそのものだった。
古代の女王や、悠久に微笑む貴婦人と同様、しなやかさと死の香りを漂わせながら超然と佇むドヴィマ。
その佇まいとは裏腹に、私生活は混沌としたものだった。付き合う男性はたいてい問題を抱えていて、自身にも浪費、暴力、アルコールといった諸問題がしだいにつきまとうようになる。
そうした意味でも、彼女はスーパーモデル以前のスーパーモデルと呼べるかもしれない。
そして、彼女が抱える問題が深刻になっていくのと時を同じくするように、流行も移り変わっていった。
スウィンギング・シックスティーズ。若者の時代、反逆の時代において、ミューズはいきいきと、なまいきでなくてはならなかった。ツィッギーにバルドーに比べれば、ドヴィマの存在は、もはや陰鬱でしかなくなっていた。
そしてわずかな期間で自身をトップモデルにまで押し上げた自身の感性も、その時代の変化を感じ取っていた。
1959年、ハーパスバザー12月号の表紙撮影を終えた彼女は、
「これが最後の撮影」
と言い放ち、モデルとしてのキャリアを終える。
そして彼女は忘れられた。職を転々としながらほそぼそとくらし、1990年5月に命を落とす。
このとき彼女はピザ屋のウェイトレスとして働き、わずかな現金しか持っていなかったという。
ドヴィマは、その威容は、ファッションがより神聖だった時代を象徴していた。刹那であり、永遠。矛盾をその身に宿す、モードの女司祭。彼女のまなざしが与える啓示は、今もわたしたちを貫く鋭さを失っていない。