COLUMNE

ディヴァイン:アンダーグラウンドの守護聖人

date created : 2024.8.31

ドラァグとは、みずからのジェンダーにゆさぶりをかけ、ひとときだけの伝説になるこころみなのかもしれない。

そしてそのドラァグクイーンの伝説たるディヴァインは、ひとときを越え、その名も顔も知らぬ人にすら、その魅力を振りまいているのだ。

ディヴァイン、本名ハリス・グレン・ミルステッドは、1945年、メリーランド州ボルチモアの、保守的なアッパーミドル家庭に産まれる。

学生時代、絵や花が好きな「女らしい」性格と、肥満体型だった彼は、この時代のマイノリティの例に漏れず、からかいといじめの対象になった。
本人曰く、17歳のころ、両親の勧めでいった精神科にて、自身がバイセクシャルであることを自覚したという。

美容専門学校で学んだ彼は、美容師として生計をたてながら、ボルチモアのアンダーグラウンド/カウンターカルチャーに接近していく。

この時期に出会ったジョン・ウォーターズが、若きグレンを変えることとなる。のちに、過激でいかがわしい”バット・テイスト”な作風の映画監督として知られるジョンは、グレンに”ディヴァイン”というあたらしい名前を授ける。

この名前は、ジャン・ジュネの小説、『花のノートルダム』の同名の主人公からとられたという。

ディヴァインとジョンは、ドリームランダーズと呼ばれる風変わりな友人たちとともに、「映画史上最もくだらない映画」を撮りはじめる。

ジョンたちの作品は、下品で過激な悪趣味さで知られている。およそこの時代に存在する”いかがわしい”ものをほとんどつめこんでいた。そしてそれは前衛的な試みとして、ヒッピーや性的マイノリティ、売春婦その他のはみだし者たちから歓迎されることになった。

この時代のドラァグクイーンたちが、女性より女性らしく、美しくとしのぎを削っていた中で、体重140kgの巨大と尊大な態度、そして下品な振る舞いやジョークの数々は革命的なものだった。

ディヴァインは映画のほかに、演劇にも活動の幅を広げ、その名声はアンダーグラウンドだけに響くものではなくなっていったのだ。

スタジオ54に出入りし、ライザ・ミネリやエルトン・ジョン、グレース・ジョーンズと親交を持つようになり、人気も彼らに負けず劣らずのものだった。

ディスコシンガーとしていくつかヒットを飛ばし快進撃を続けていたディヴァインだったが、その栄光は同時にかれの心身を蝕むこととなった。

本来内気な性格だったことも手伝ってか、ドラッグに依存。子供の頃からの過食による肥満も悪化していった。
ディスコカルチャーが落ち着きを見せ始め、俳優の仕事も減り始めていた晩年には、周囲に自殺願望をほのめかしていたという。

そしてついに、ドラッグクイーン姿ではない役柄豊出演し高く評価された『ヘアスプレー』が全米公開されてから3週間後の1988年3月7日、ディヴァインは滞在中のホテルで、心不全により息を引き取とった。

アメリカのポップカルチャーを駆け抜けたディヴァインは、その死後も、様々なかたちでクリエイターから称賛を受けている。

例えばディズニーのアニメ映画「アリエル」の悪役、アースラはそのギャラクターデザインの大部分をディヴァインから引用している。

ドラッグクイーンの世界でも、コミカルで下品に客を煽り立てるその礎を築き、ゲイの公民権運動に積極的だったディヴァインは永遠のアイコンだ。わたしたちには親しみ深いあのマツコ・デラックスのスタイルも、その原型はディヴァインにあると言えよう。

その悪趣味なジョークでいくつもの境界を飛び越え、世界に戸惑いと笑い、そして喜びを与えたディヴァインは、今やその名の通りの地位を得てる。

つまり、ポップカルチャーとアンダーグラウンド、そしてはみ出し者の守護聖人となって、わたしたちに影響を与え続けているのだ。

(写真:Graziano Origa CC BY-SA 3.0)