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禁断の惑星:スペースエイジの警句

date created : 2024.9.14

white by : doukin

ある日、たまに連絡を取るアメリカ人の友人と好きな映画はなにか、という話になった。彼が一番好きなのは、『禁断の惑星』だという。SF映画の古典だということは知っていたが、実際に観たことはなかったので、これをいい機会として鑑賞した。

『禁断の惑星』の公開は、1956年。ちょうどエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」と同年、アポロ計画開始の5年前だ。アメリカらしい豊かなくらしが常識となったこの時代、人々は万能の科学の力によって繁栄が無限に続き、文明はいずれ宇宙に進出すると信じていた。

映画は、荒涼とした惑星と、のびやかなSF表現によって演出されている。詳しく言えば、モスグリーンやゴールドを多用した50年代的な曲線が特徴の美術デザインや、シンプルな特撮表現、愛くるしいロボットと、静けさだけが広がる、寂蒔とした荒野の惑星の組み合わせだ。

あらすじを説明しよう。物語の舞台は宇宙移民が実現している西暦2200年代。20年前に惑星アルテア4に入植した移民団との連絡が途絶えたことを受け、アダムス艦長率いる宇宙船C-57-Dはその捜索に向かう。 惑星に降り立った船員たちは、モービアス博士とその娘アルテア、そして博士が作ったロボット、ロビーに遭遇する。そして博士たちから、移民団の生き残りは彼ら以外にいないことを知らされる。

船員たちと、移民団の生き残りふたり、そしてロボット1体だけで繰り広げられる物語は、SFらしい設定や演出のスケール感に比べて、不釣り合いなほどシンプルに感じられる。だがそれらは奇妙な浮遊感を伴いながら、有機的にくみあわさっていく。電子音や光線とともに繰り広げられる静かな演技に、わたしたちは引き込まれていくのだ。

この物語は、シェイクスピアの『テンペスト』との類似が指摘されている。シェイクスピア作品の分類で、ロマンス劇に分けられるタイトルだ。
ロマンス劇は、悲劇と喜劇双方の要素をもちながら、超自然的な要素、家族の離別や再会、文明的な要素と牧歌的な要素の組み合わせなどで特徴づけられる。

つまり『禁断の惑星』は、普遍的な名作を、スペースエイジにふさわしい舞台に引きずり込んだ作品と言える。映像表現が作り出す現実から切り離れた空想世界が呼び起こす奇妙な旅情によって、巨匠を範とした物語の輪郭は一層明確となるのだ。
警句と示唆に富んだ物語の核心は、映画的体験によって見事に描き出される。この宇宙時代の寓話は、あざやかなスクリーンに映写されたからこそ、いまも崇高に輝いているのだ。